たいそんの日記

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ふしぎなまろうど

一、

 「めずらしいこともあるもんだ・・・」

まだ人の気配を残したままの
アパートの一室で、太一郎は
ソファに腰掛けながら誰に言うでもなく呟き
続けざまにショートホープを咥えて
ぼんやりしながらテーブルに視線を落とした。

 テーブルの上にはコーヒーカップが二客。
ひとつは、太一郎が飲んだもので
もうひとつはこの日の客人(まろうど)
坂井が飲んだものだった。

 坂井とは大学時代、三日と空けずに会っては
夜の街に繰り出し、通りすがる
煌羅びやかな女たちを横目で追いかけ、
互いのポケットの中の小銭を出し合い
安い酒でなんとか酔えないかと
無い頭をひねってあれこれ思案したものだった。

 そんな、親友と呼ぶに値するふたりだったが
太一郎の留年により、坂井が一足早く
卒業したのを境に、だんだんと疎遠になっていた。

 坂井が太一郎の家を訪ねるのは
かれこれ五年振りのことだったが、
ふたりはこの日、約束をしたわけではなかった。
急に、坂井がやってきたのである。

 簡単な夕食をすませ、見るともなく
テレビを眺めていると突然チャイムが鳴った。
借金の返済日はまだのはずだけど・・・と
太一郎は恐る恐る扉を開けてみると
そこには、背広を着た坂井が立っていたのである。

「坂井・・・!?坂井じゃないか!どうしたんだ急に」

「なに、ちょっと通りがかったものでね、お茶でもと思って」

「なんだよかしこまっちゃって!おう、あがれあがれ」

 五年の月日を感じさせないほど、
会話は大いに盛り上がり
一時間、二時間、三時間があっという間に過ぎた。

 さすがに話題も尽きてきたころ、
坂井がきょろきょろと太一郎の部屋を見渡した。

「今も書いてるのか」

「辞めるに辞められないだけさ」

「何度か、載ったらしいじゃないか
直木賞受賞も近いな」

「よしてくれ、賞なんてとても・・・
それに載ったといっても、ちんけな雑誌さ
作家と名乗るのも烏滸がましいくらい」

「そうか・・・」

 太一郎の職業は作家である。
ただし、頭に”売れない”がつく。
大学を卒業しても、勤めに出る気にならず
それならば、と
幼いころからの夢だった作家を志し
せっせと書きためた作品を出版社に
持ち込んだが、どこにも相手にされなかった。

辛うじて載せてもらったのは地方の
文芸誌の片隅に四、五回ほどで
原稿料はいずれも雀の涙だった。

アルバイトで食いつなぐにも限界があり
このごろはあちこちで借金をしている。
その利子だけで毎月火の車であり、
太一郎自身、作家業を目指すのも
そろそろ潮時かもな、と
不安に駆られる毎日だった。

 「今は厳しくても、きっといつか報われるさ。
神様は見てくれてるよ。
おっと、もうこんな時間か。おれはそろそろ・・・」

「もう帰るのか?ゆっくりしていけよ」

「明日は朝一で浜松へ出張なんだ
こんど、ゆっくり鍋でもつつこうや、それから・・・」

 坂井は財布から万札を三枚取り出し
太一郎に渡した。

「なんだよ、この金。おい、憐みなら受けんぞ
おれにもプライドはあるぜ」

「勘違いするな、借りた金を返すだけさ
お前、大学のころ俺に三万円貸したのを忘れたのか?」

「覚えてないな」

「貸したんだよ、それを返すだけさ」

坂井は太一郎のポケットに万札を
ねじこむと、さっさと帰り支度をはじめた。

「じゃあな、太一郎 また連絡する」

「お、おい」

それだけ言って坂井は帰っていった。

 太一郎はさっきまでの一部始終を思い出しながら
ちりちりと燃えるショートホープを燻らせながら
くしゃっと頭を掻いた。

「あのやろう・・・」

「三万円も貸したなんて、本当なら
俺が忘れるわけねえじゃねえか・・・」

 親友の坂井の気遣いに、情けないやら
有難いやら、太一郎は、奇妙な感情を抱きながら
ポケットの中のねじ込まれた万札が
温かくなるまで握りしめるのだった。

二、

  「め、めずらしいこともあるもんだ・・・」

酒盛りのあとの散らかった部屋を見渡す。
太一郎はビニール袋に空き缶を入れながら
テーブルの上の紙切れに目をやった。

 テーブルを囲むように座布団が三つ。
ひとつは、太一郎が座っていたもので
あとのふたつはこの日の客人(まろうど)
吉良と三郎が座っていたものだった。

 吉良と三郎は高校時代、三羽烏と呼ばれたほどの
悪友で、なにをするでも一緒だった。

 同じ野球部で甲子園を目指し朝から晩まで
グラウンドを駆けずり回ったが
公立の弱小野球部の夏は例年
一回戦で散るのが恒例であった。

 太一郎はこう見えて当時は
俊足巧打の一番打者で
足の速さは部内一だった。
出塁すれば盗塁で相手チームを揺さぶる
優れたリードオフマンだった。

吉良は部内の絶対的エースで
スリークォーターから投げるキレのある直球は
最速で百三十キロをマークする剛腕だった。
スタミナに難があったが調子のいいときは
バッタバッタと三振を奪う本格派だった。

三郎は吉良の女房役にしてチームの主砲だった。
高校通算本塁打三十四本という長打力に加え
太一郎でも油断すれば刺されかねない強肩で
プロのスカウトが偵察に来るほどだった。
 
 その彼らでも甲子園の壁は厚く
地方大会でも毎年一回戦で涙を飲んでいたが
そんな悔しさも今となっては青春の思い出である。

 そして、坂井が訪ねてきた翌日
吉良と三郎が太一郎の家にやってきたのである。
約束もなく、突然に。

 原稿の執筆に行き詰った太一郎は
せめて腸の詰まりぐらい解消しておくかと
さして便意もないのにトイレに立てこもり
うぬぬといきんでいた時、
チャイムがけたたましく鳴った。

(どうせ新聞の集金だろう、こっちはいまそれどころじゃ・・・)

無視して放便に集中しようと、さらに強く
ふんばったが、チャイムはピンポンピンポンピンポンと
間髪いれず鳴り響き、どんどんと扉をたたく音までする。

(またえらくやかましい集金屋だな)

さすがに慌てた太一郎はふんばるのを諦め
いそいそとズボンを履き、ブツもない便器ではあるが
なんとなくレバーを引いて水を流した。

急いで玄関に行き、扉を開けようと
ドアノブを握ろうとしたが、その刹那

(あ、やばい借金取りかもしれん)

ということを思い出し、小さな声で言った。

「ど、どちらさまですか・・・」

すると扉の向こうでひそひそ笑いながら

「さて、どちらさまでしょう?」と 返ってきた。

笑いを含んだニュアンスの返答に
借金取りではないと判断した太一郎は
ぎい、とドアを開けるとそこには
吉良と三郎が立っていた。

「おいおいおいおい」

「よっ」

「ひさしぶりだな」

「吉良!サブ!なんだよお前ら驚かしやがって!」

 太一郎は再会を喜びながら
ふたりを部屋に招き入れた。

「飯食った?」

「うんにゃ、まだ」

「そんじゃ一杯やりもって腹ごなしだ」

三郎が右手でお猪口を持つ仕草を見せると
吉良はビニール袋から焼酎やら缶ビールやら
ハムやらチーズやらを取り出した。

「では、南高三羽烏再会を祝しまして・・・」

「乾杯!」

 三人は次々にビールを開け、よく食べた。
途中、食料が無くなると近くのスーパーまで
揃って出向き、また買い足しては飲んだ。
男三人の野太い笑い声が重なりながら
宴は進んでいく。

 「それにしても・・・」

頬を赤らめた太一郎が三郎の
腹部をむんずと掴み、揺らした。
ぷりゅんぷりゅんと波打つ贅肉は
高校時代の引き締まった三郎の肉体とは
まるで違っていた。

「なんだよ、お前この腹はっ!」

「言ってくれるな、しょうがないんだ
野球を辞めても食う量は変わらん
肥える一方で困ってるんだ」

「がっはっは!変われば変わるもんだなぁ
それから吉良!お前禿げちまってるじゃねえか!」

 高校時代の吉良は細い体躯と通った鼻筋に
ぱっちりとした二重瞼が印象的な好青年だった。
まして、弱小とはいえ野球部のエースだったので
三人の中では吉良が一番、女にモテた。
そんな吉良を妬ましく思っていた太一郎だったが
この見るも無残な吉良のヘアスタイルは
酒の肴にもってこいで、笑いが止まらなかった。

「遺伝かなあ・・・いや、もう受け入れてるんだけど
はあああ、明日起きたらふさふさになってねえかなあ」

「あれから十年くらいしか経ってねえのになあ」

「十年か・・・長いようであっという間だったな」

「覚えてるか、三年の夏」

「忘れるわけないだろ」

 忘れられるわけがなかった。
太一郎たちが三年生になったその年の夏
南高野球部は県予選のベスト8まで
駒を進めたのである。
あと三回勝てば悲願の甲子園出場に
町は大いに盛り上がり、
三羽烏はちょっとしたヒーローだった。
その準々決勝を5‐3のスコアで敗北したが
悔いはなかった。

 エース吉良が終盤に崩れ5失点だったが、
9回を投げ切っての2桁奪三振は見事だった。
三郎は4打数3安打2ホーマー。
南高が奪った3得点は主砲三郎によるものだった。

むろん太一郎もはりきった。
安打こそ1本だったが粘り強く球を見極め
2度四球を選び、盗塁を決めた。
8回表の内野の頭を超すライナー性のあたりも
華麗なフィールディングでアウトをもぎ取り
チームに貢献した

 三羽烏は持てるポテンシャルを発揮したが
それでもあと一歩勝利に届かなかった。
試合後、人目も憚らず大粒の悔し涙を流したが
どこか気持ちはスッキリしていた。

熱い夏だった。
後にも先にも、あんなに熱い夏はなかった。

「良い試合だったよな」

「すまん、おれが五点も取られるから・・・」

吉良は深々と頭を下げた。

「まぶしいからやめろ。
あれは、俺のリードが良くなかったんだ。
アウトコースに投げさせたのは失敗だった」

「いや、それを言うならおれだ。一番バッターの
おれがもっとヒットを打ってれば
流れもこっちにきたはずだ」

三羽烏は、敗因は自分にあると言って譲らなかった。

「野球の神様は残酷だよな」

 それからも高校時代の話は尽きず
大いに盛り上がった。先輩の格好良さ、
後輩のかわいさ、監督の暑苦しさ
辛かった練習、夕暮れのコンビニで死ぬほど食べた
ホットスナックとホワイトウォーターの味。
いくらでも話は出てきた。

吉良が言った。

「太一郎、茜ちゃんとは連絡とってんのかよ」

「ぶふっ」

口に含んだ焼酎が飛び出た。

「ばかおめえ、何年前の話ししてんだよ
あの子とはとっくに終わってるよ」

 茜は太一郎の高校時代の彼女で
野球部のマネージャーでもあり
太一郎にとって、”初めての女”だった。

しかし、進学を機に、すれ違うようになり
茜はテニスサークルの先輩と付き合いだしたらしく
太一郎はフラれる格好となってしまっていた。

「かわいかったなあ~茜ちゃん、おしとやかで
一生懸命だったしなあ」

三郎がごろんと床に倒れこみ天井を見上げながら
呟くと、即座に鼾を立てて眠りだした。

 太一郎も遠い記憶を呼び起こし、
靄のかかった思い出を手繰り寄せる。
茜と一緒に遊んだ日のことや
校舎裏でのはじめてのキスや
付き合って一年後、結ばれたときの
茜の赤らんだ頬や、白く艶のある裸体を。

なんだか恥ずかしくなってしまい
柄にもなくもじもじしていると
吉良はふふっと小さく笑い立ち上がった。

「・・・おいサブ、そろそろ帰るぞ起きろ」

「むにゃむにゃ・・・」

「世話のかかるデブだな、おい起きろ
それじゃあな、太一郎、いきなり押しかけて
悪かった。また集まろうぜ」

吉良は三郎を抱きかかえ玄関に行き
太一郎に背中を向けたまま言った。

「こないだ会ったぜ 茜ちゃんと」

「えっ、本当かよ」

「お前の話になった」

「お、おう・・・」

「会いたがってたぞ、ほれ、これ」

吉良は太一郎に一枚の紙切れを渡した。

「あれま・・・」

「もう大人なんだから飯くらい誘えるだろ」

太一郎は紙切れを拡げると
そこには携帯電話の番号が書いてあった。

「そんじゃ、次はキャッチボールでもしような」

「お、おお!ありがとな吉良!また来いよ!」

 そういって吉良は三郎に肩を貸しながら
帰って行った。太一郎はぶんぶん手を振り
去りゆくふたりを見送った。
吉良はぴっと右腕を上げ、人差し指を空に向けた。

 太一郎はさっきまでの一部始終を思い出しながら
ビニール袋に空き缶を入れつつ
テーブルの上の紙切れをチラチラ見るのだった。

三、

  (偶然もここまで来るとちょっと怖いな・・・)

勢いよく流れるシャワーの温水を全身に宛がうと
どんどん血行が良くなっていくのがわかる。
バスルームの鏡は、鏡としての役割を
果たさないほど湯気で曇っていた。

 カランを締め、バスタオルで
がしがしと乱暴に髪を拭いた。

いつもなら、まだ濡れたままの体に
バスタオルを腰に巻き付けて
ソファが水で濡れるのも厭わず
ショートホープに火をつけるのが
太一郎の流儀なのだが、
さすがにこの日は違っていた。

 太一郎はテーブルの上に視線を寄越す。
そこには一枚の真新しいCDが置かれていた。

 今しがたのことであった。

 昨夜、吉良から貰った紙切れには
茜の携帯番号が書かれており
太一郎はこの番号に電話するべきか
しないべきか悶々としていたのだった。

 頭の中は茜の事でいっぱいだったが、
然れど、大の大人が、紙切れ一枚貰って
中学生のように尻尾を振ってかける、というのは
どこかスマートでないような気がした。

仮に電話をして、会う約束を取り付けたとして。
吉良や三郎ほどではないにせよ
自分だって相応に老けた。
腹の贅肉は掴めるし、髪も十代のころに比べれば
頼りなくなっていた。
なにより、気になるのがこのほうれい線。
こんな老けた姿を茜に見せて
呆れられてしまっては、と思うと
気が気でなかった。

しかしそれを言い出せば向こうだって条件は同じだ。
茜の、あの透き通るような白い肌も
ぼちぼち劣化の気配を見せていることだろうし
指がするする通り抜けていった黒い髪も
今じゃ白髪がぽつぽつあるかもしれない。

 なに、ほんのちょっと、近況を話すだけでも
と 携帯電話に番号を打ち込んではみたが
いざダイヤルをかけようとすると勇気がでない。

これでは、先の尻尾振り中学生と
変わらんではないか、と
太一郎はしょげ返りながら
布団の中でじたばたしていたのだった。

「茜のやつ、なんでまた今頃おれなんか・・・」

 昨夜、吉良と三郎が帰ったあと
太一郎は押入れから卒業アルバムを引っ張り出した。
そこには、まだ髪がふさふさだった吉良や、
しゅっとした三郎や、
今よりはるかに精悍な顔立ちの太一郎らと一緒に
若いころの茜も写っていた。

 一度はっきり思い出すと、この十年で
ほとんど忘れかけていた
茜との思い出が次々蘇ってきた。

 茜が太一郎とふたりで会う時
「たあくん」と呼んでいたこと
苺のタルトが大好物だったこと
数学が苦手だったこと
花冠を作るのが得意だったこと
指の感触や、胸のやわらかさ
自分を求める甘い声
赤面してしまうような痴態の数々も
まるで昨日のことのように思い出せてきたのである。

 太一郎はぐるりと仰向けになり
天井の木目を眺めていたが
次第に劣情がむくむくと湧きあがり
いつしか股間は大きく膨らんでしまっていた。

こうなっては致し方ない、茜よ、すまぬ、と
心の中で呟きながら
己が分身を右手でもって握ろうとしたとき



   ピンポーーーン



 「どぅわっ!!」

またしてもチャイムが鳴ったのである。

ずり下したズボンを慌てて履きながら
太一郎はおぼつかない足取りで玄関を開ける。

 そこには革ジャンパーを着た金髪の男が立っていた。

「ジョニーさん・・・!」

「よお!太一郎!元気かいや!」

「ジョニーさんじゃないですかー!!」

「なんやお前!まーだここ住んどったんかい!
ちょお上がらせてや!」

「わっとっと!はい!どうぞどうぞ!」

 金髪の男は太一郎が言い終わる前に
ずかずかと玄関に入り込んで
底のあるブーツを脱ぎ室内へと向かった。

「ぜんぜん変わってへんな~懐かしいわ
太一郎、遠慮すな 座れ座れ!」

「ここ僕ん家っすよ!ジョニーさん」

「しょうむないことを気にするな!こんなもん
ほとんど俺の家みたいなもんやないか!」

「相変わらずっすねえ・・・」

 大学を卒業したころ、
就職をしなかった太一郎は
日々の糧を得るために駅前の中華料理屋
”来音亭”でアルバイトをしていた。

 来音亭は最近では珍しく、給料はすべて日払いで
しかもまかないも豊富だっただめ
売れないミュージシャンや劇団員、
作家の卵などが、たくさん働いていたのだった。
本日の客人(まろうど)、金髪のジョニーも
その中のひとりであり、太一郎の先輩にあたる。

 そしてジョニーはパンクロックバンド
THE HAMMER BUCKING GUITER
(ザ・ハンマーバッキングギター)の
ボーカルを担当していたのだった。

 太一郎はこのTHE HAMMER BUCKING GUITER
(通称:ハンバキ)の
ライブに足繫く通っており
毎度、ステージで汗だくになって
”自由とは何か”を叫ぶジョニーが憧れだった。

 ジョニーもバイト先の後輩の太一郎を
ことのほか可愛がってくれて、バイト終わりには
よく太一郎の家に上がり込んで
夜明けまで話し込んだものである。

「でもジョニーさん、和歌山に帰ったんじゃなかったんですか?」

 ハンバキは一部ではそこそこの人気を誇っていたが
全国区レベルでは今一つ火がつかなった。
そうこうしているうちにメンバーも30歳を迎えたころ
ギター担当のジャックが脱退を宣言したのである。

「おお、ジャックは家業を継ぐゆうて辞めたやろ?
引き留めたけど、意思かたいからなあいつ・・・
俺の上手にはジャックしか考えられへん
せやから悔しいけどハンバキは解散して、
メンバーそれぞれ田舎に帰ったんや、おれも
和歌山で普通に就職しとってんけどもね」

「それが・・・3年前くらいですかね」

 ハンバキが解散したあとのジョニーの焦燥は
ひどいもので、太一郎も声をかけるにかけられなかった。
そのうち、ジョニーは来音亭を辞めてしまい
太一郎も後を追うように辞めてしまった。

 しばらく連絡を取り合ってはいたものの
やがて疎遠になってしまったのだった。

「もうそんな経つか~早いもんやな
あのころは楽しかったなあ」

「ええ、僕も・・・楽しかったです」

「お前は今も作家目指しとるんやろ?」

「いやあ、もう目も当てられないくらい悲惨っすよ」

「気にすな気にすな、世間の評価っちゅうのは
いつでも後からついてくるもんや
ロックの神様かて、せや
おれは中学のころから、自分は
偉大なロックスターと同じように
27歳で死ぬもんやと思ってた
けど、あーっさり、超えてもた
でもな、ええねん、そんなもんな
しょうむないわ、人の評価や
人の価値観に左右されてるようじゃ
音楽はでけん、文学もおんなしちゃうかな?
お前には才能があるんやから、
ゆっくり頑張ったらええんや」

 ジョニーは、いつも口癖のように
太一郎を励ましてくれた。
書いても書いても納得のいく作品が
できなかったとき、何度も

「お前には才能があるんやから
ゆっくり頑張ったらええんや」

と 太一郎の 背中を押してくれた。

懐かしいその口癖に、太一郎は
涙がにじみそうになったが
ジョニーに知られてはからかわれる、と
話題を変えることにした。

「あのっ、それでジョニーさん、今日はまたどうして?」

「おう、まあ、これ見てくれるか・・・」

 ジョニーは革ジャンパーから何かを取り出し
静かにテーブルに置いた。

太一郎はおずおずとそれを手に取り
目をぱちぱちさせながらジョニーを見た。

「ま、まじっすか・・・」

「人間だれでも年は取る
いつ死ぬか、それは神のみぞ知るや
体力も落ちるし、容姿もかわる
せやけどな、太一郎
いくつになっても、夢を断つことはないんや」

「だって、だってハンバキは三年前に・・・」

「俺の上手はジャックしか考えられへん
せやけど、あいつ意思かたいからな
でも、俺もやねん、俺も意思かたいねん
ぜったいもっぺんやろうって決めてたんや
ジャックを口説くのに3年もかかったけど・・・
またライブ来てくれるかあ・・・?」

「もちろんっすよ!!」

 嬉しい報せだった。
THE HAMMER BUCKING GUITERは
人知れず再結成を果たし、秘密裏に
NEWアルバムを完成させていたのだった。
それも、オール新曲で。
太一郎は興奮して、汗が止まらなくなってしまっていた。

「ちうことでな、こないだからまたこっちに戻ってきてな
ライブもまたバリバリやりまくんねん
ツアーにもでる 売れる売れへんはさておき
今度はぜったいにぽしゃらへん
だって、あのころより、今のハンバキの方が
かっちょええからな まあなんや
今日はそれを 宣言しにきたったっちゅうこっちゃな」

「ジョニーさんあんたって人は・・・!!」

「ま、そ~ゆ~ことで おっと もうこんな時間か
わるいな 太一郎、 また 時間つくって
遊びに来たるわ たいへんやろうけど
諦めたらあかんど」

「えっ、もう帰るんですか!もっといろいろ聞かせてくださいよ!」

「あほ、ファンはお前だけと違うねん
これからあちこち顔出して 宣戦布告に
わしゃ忙しいんや 界隈のバンドも
えらい様変わりしてるみたいやしな
若いもんに負けてられへん
おっさんがいっちょシーンを搔き乱してくるさかい
見とけよ ほなな!」

 そう言ってジョニーは去っていった。
その背中は間違いなく、あの頃より
はるかに頼もしく、燃えていた。

 太一郎は興奮しすぎたためか
身体がすっかり火照ってしまい
シャワーを浴びることにした。

(うほお~まじかよ、まじかよ!
ハンバキが活動再開かあ~絶対ライブ行こう!)

 温水を頭に、次に胸に、それから肩に
シャワーを浴びながら太一郎は
まだ、うきうきとしていた。

(でも、あれだな、一昨日が坂井で
昨日が、吉良と三郎で、今日がジョニーさんで・・・
うわ、三日連続かよ、すげえな)

 勢いよく流れるシャワーの温水を全身に宛がうと
どんどん血行がよくなっていくのがわかる。

(偶然もここまで来るとちょっと怖いな・・・)

 バスルームの鏡は、鏡としての役割を
果たさないほど湯気で曇っていた。

四、

 「明日は誰が来るんだろうな~」

不思議なことに、その後も太一郎の家には
連日、昼夜問わずに客人(まろうど)があった。
もうひと月は、毎日誰かしら
懐かしい人が訪れては去っていく。

 最初は首を傾げていた太一郎だったが
それも、十日目を過ぎた頃から
気にならなくなり、今では
すこし楽しみにしているありさまだった。

 小中高大の旧友、それ以外でもあちこちで
知り合った人たち
たくさんの人が突然、太一郎の家を訪ねてくる。

 来音亭のマスターも来た。当時のバイト仲間たちも来た。
野球部の監督も来た。
子供のころ可愛がってもらった近所のおじいさんも。
よく通った飲み屋の常連客も。
ジョニーがよく出ていたライブハウスで知り合った
ハンバキのファンとも。
とにかく、色んな、懐かしい人たちが
太一郎の家を訪れたのである。

 しかし、これだけ毎日、誰かがやってきても
時間がかぶることはなかった。
なぜかみんな、示し合わせたように
一日につきひとり
(複数人で来たのは吉良と三郎だけだった)が
やってくるのだった。

 こうなると太一郎からすれば
ひょっとして明日は、茜が来るのではないのかと
気が気でなく、念入りに身だしなみを整えるようになっていた。

乳白色のパックを顔面に施しながら太一郎は考えた。

 ともすれば、これは壮大なドッキリで
数年間、俺を密かに想い続けた茜が
旧友たちに頼んで仕掛けた作戦なのかもしれぬ。
ふふふ、まさかまさか、そんなバカな
だがいくらなんでもこれだけ連日、誰かが来るなんて
ありえるか?いや、あり得ない。
もしかすると、もしかするぜ

 太一郎は借金のことや、執筆の進行具合も
頭から抜け落ち、毎日の客人(まろうど)を
待つようになっていた。

 そうこうしているうちに、やっぱりその日も
来客があった。
詳細は端折るが、この日は、中学時代の旧友で
彼もまた「たまたま立ち寄った」という。
とはいえ、この”偶然”を楽しんでいる太一郎にとって
もはや、来客の理由なぞどうでもよく
よいさよいさと招き入れ、
大量のアルコールとともに思い出話に
花を咲かせるのだった。

 「明日は誰が来るんだろうな~」

旧友が帰ってからも、太一郎は赤ら顔のまま
ずいぶん酒に酔っていたが、ここまで
連続して客人があるのは、もはや人為的な
何かが絡んでおり、その首謀者は
おそらく、茜が一番ふさわしいのであるからして
明日、来るかもしれぬ彼女のために
掃除だけは終えてから寝ようという
太一郎なりの理性だった。

 「はやく来ねえかな~」

 酩酊したまま食器を洗う太一郎は
何年かぶりに”明日”を楽しみに待つのだった。

四、

  「どうなってんだ・・・」

昨日の痛飲が祟ったか
太一郎はひどい二日酔いで目を覚ました。
起き抜けにコップ一杯の水を飲んだが
それでもがんがんと痛む。
頭に悪魔が棲みついているようだった。

 「だめだ・・・今日はバイト休もう・・・」

バイト先に体調不良を訴え、休日を得ると
太一郎はそのまま布団で眠りこけてしまった。

 どれくらい時間が経っただろう。
カーテンの隙間から差し込む光から
鑑みるに、まだそれほど
遅い時間というわけではなさそうだ。

 頭痛もいささかマシになったようだが
眠気は俄然残っている。
うつらうつらとまどろみながら
静かな時間を過ごしていると
なにやら遠くから音がする。

 まだぼーっとしていた太一郎は
あまり気にしていなかったが
やがて、それが聞きなれたチャイムの音だと
分かると、がばっと起きて
寝ぼけたまま玄関に向かった

(今日も誰かきたぞ・・・!)

まだうまく力が入らなかったが
いよいよ茜が来たかもしれん、と
ぐっとふんばって扉を開ける。
だが、そこには見慣れない男が立っていた。

「だ、だれ・・・」

男はきらきらとした瞳で言った。

「たいちろくん!久しぶり!ぼくだよ!わかる!?」

 ”たいちろ”とは太一郎の小学校時代の
ニックネームである。
だが、6年間のクラスメイトたちの顔と
目の前の男の顔を照らし合わせてみたが
それでも、ピンと来ない

「ごめん・・・だれ?」

「やっぱり忘れちゃったかあ!ぼくだよたいちろ君!
和泉だよ!和泉良彦!ほら、小3のときに
転校した!いじめられっこの!」

「えっ・・・あっ・・・えっ・・・!?和泉!?」

 太一郎が和泉に会うのは小学校3年生以来
およそ20年ぶりの再会だった。

 とりあえず部屋に招き入れたものの
今日まで訪れた他の客人のように
とりたてて話題があるわけではなかった。
それでも和泉は太一郎の部屋を
興味深そうにきょろきょろと眺め
その表情は、妙に生き生きとしていた。

「あの・・・ごめん、突然どうしたの」

「いやあ、なんだかたいちろくんに会いたくってね!
遠かったよお~!特急電車で3時間もかかったよ
住所はきみの実家に電話して聞いたんだ
おばさん、元気そうでよかったなあ!
たいちろくん今作家さんなんだろ?
へへへ、ぼく 君の作品が載ってる
文芸誌 持ってるよ!
ネットオークションで落としたんだあ
それにしてもたいちろくん 変わってないね!
元気そうでよかったよ!あはははははははは!
あっごめん なんかぼくばっかり喋ってるね!」

怒涛のマシンガントークとそのストーカーじみた
内容に太一郎はドン引きであった。

「あの・・・えっとそれで何の用かな?」

「んもおお、たいちろくんったら冷たいなあ
会いたかったんだよ!
子供のころのお礼を言いたかった!
ぼくってさあ あのころから早口だしさあ
しかも 霊が見えるとか言ってたから
ぶっちゃけ かなり嫌われてたじゃん
それで その日も まあ 殴られてたんだけど
たいちろくんが 止めてくれたんだよね!
嬉しかったなあ~ あのときのたいちろくん
格好よかった!あれ以来 たいちろくんは
ずっと ぼくの 憧れだよ!あはははははは!!
なのに 僕ったら そのあと すぐに 転校しちゃったじゃない?
お礼いえてなかったのが 心残りだったんだよね~」

 和泉のマシンガントークはさておき、
そういえばそんなことが昔あったような気がするなと
太一郎はおぼろげな記憶を思い返す。

だがひとつはっきりしているのは
別に和泉を助けるためにとか
いじめは良くない!とか
正義感から来るものじゃなく
ただ、たまたまそういう場面に出くわしただけで
さすがに5対1でリンチの真似事なんかしているのが
先生に知れたら、ことだなと思い

「おーい、やめとけって」
と軽く声をかけただけだった。

それをどうやら和泉は拡大解釈しているらしかった。
実を言うと、その当時、太一郎も
和泉のことを若干鬱陶しいと思っていたのである。
手を出すようなことはしなかったが
わざわざ口をききたいと思うような相手ではなかった。

 「転校してからもいじめられまくってさあ~
でも、きっとまたたいちろくんが現れて
ぼくを救ってくれる、って信じて耐えたんだよね!
ぼくの正義のヒーローなんだよたいちろくんは!
会えてうれしいなあ、もうここ住んじゃおっかな!
な~んちゃって!うそうそ!あははははは!」

 始終、この調子の和泉に、太一郎は
だんだんとイライラしてきた。それでなくても
まだ二日酔いが残っていて、本調子ではないのだ。

いくらなんでもそんな意味不明な道理で
家に来られても 困るというのが本音だ。
適当に理由をつけて 帰ってもらおう
太一郎はそう決めた。

「あー・・・まあ、うん、感謝してくれてるんならさ
それは、うん、どういたしましてってってことで・・・
あのそれで、和泉くん?おれね、いそがし・・・」

 「最近変わったことない?」

急に、和泉が真顔になって聞いてきた。
太一郎は言葉を堰き止められる。

「えっ」

「おかしなこと。最近なかった?」

 そう言われてまっさきに脳裏によぎるのは
ここ連日の客人のことであったが、
太一郎はまだうまく言葉にできない。

「昔の知り合いが訪ねてきたり」

和泉はまっすぐな目で太一郎を見つめた。

「あっ・・・ったけど、たまたまだろ・・・?」

和泉はふーと下唇を上唇に重ねて
息を吐き、前髪を揺らした。

「そっか。楽しかった?」

「お、おい、おまえなんでそんなこと知ってるんだ」

「たいちろくんってさあ、神様って信じる?」

「はあ?」

「死後の世界、でもいいや。そういう普通の人には
見えない、わからないことって、信じる?」

「お前さ、いい年してまだそんなこと言ってんのかよ」

「まあまあ、話のネタに。信じる?」

「生憎、オカルトと早口な奴は苦手でね」

「最近、よく来るんでしょ。昔の知り合いとか。
ぼく、そういうのわかるんだよね
でも、もうちょっとかな。
そうだな、二人か三人くらいかな・・・」

「なんなんだよ、おまえ」

「会わない方がいいよ」

「はあ?」

「会わない方がいい。そいつらと会うより
ぼくといっしょに来ない?」

和泉はそう言いながら太一郎の
両手をぎゅっと握りしめた。

「気持ち悪いんだよ!なんだよ、お前さっきからっ!」

 太一郎は和泉の手を撥ね退け、立ち上がった。
その語気の強さにさすがの和泉も
驚いたのか、さっと身を屈める。

「かっ、帰れよ!」

血走った太一郎の眼差しは本気だった。
和泉も察したか、そそくさと立ち上がり

「余計なこと言っちゃったかな・・・
ごめんね、怒らせるつもりはなかったんだけど
ぼく、そしたら帰るね。うん、もう来ないよ
ごめんね、たいちろくん、ええと、それじゃ
あ、あと二日酔い、はやく治るといいね」

 ばたんと扉が閉まり、たんたんと
階段を降りる音が聞こえた。
太一郎はまだ、怒りが鎮まらないらしく
コップに水を注いで一息で飲み干した。

(なんなんだよ、あいついきなり来て
わけのわからんこと言いやがって
気持ち悪いな、くそっ)

 そのまま台所の蛇口をひねり
ばしゃばしゃと顔を洗う。
火照った顔に、水が心地よく
だんだんと落ち着いてきた。

 太一郎はそのままソファに腰かけ
ショートホープに火をつけると
肺のいちばん奥まで煙を吸い込み
長く、ゆっくり、吐いた。

「そういえば・・・あいつ」

「なんで俺が二日酔いだって知ってるんだ?」

昨日の客人と開いた宴の残骸は
昨日のうちに片づけたはずである。
そんなに酒臭かったか?と
太一郎は両掌を口にあて
はっはっと息を吹きかけてみたが
アルコールの匂いは感じられなかった。

「どうなってんだ・・・」

太一郎は戸惑っていた。

六、

「夢じゃないのかよ」

ほっぺたをつねる。痛みが走る。
夢じゃない。これは夢じゃない。
だが、太一郎は頬の痛みを実感してからも
まだ、”それ”を信じられなかった。

喉が渇く。体がだるい。

太一郎は布団の脇に置いてあった
ミネラルウォーターに手を伸ばし
寝ころんだまま、ぐびぐびと飲む。

最後まで飲み切り、しかし顎は上を向いたまま
視線だけをおろすと、太一郎の左腕に包まれた
全裸の女と目が合った。女はニコリと微笑む。
太一郎も微笑み返し、女の唇に軽いキスをした後で
抱き寄せ、そして、訊ねた。

「なあ、ほんとになにも知らないの?」

「うん、なんにも知らないよ」

女は、本当になにも知らない様子だった。

「そっか・・・」

太一郎は仰向けになって、天井にかざすように
右手を伸ばした。なにかを掴むような、そんな仕草だった。

「昔からえっちしたあとっていつも
手を伸ばしてたけど、どうしてなの?」

女が訪ねた。

「さあ、どうしてだろう、なんか、寂しくなるんじゃない?」

「さみしいんだ」

「かもね」

「ふーん。もっかいしてもいいよ。”たあくん”・・・」

茜が、太一郎の上に跨った。

 昨日、和泉を追い返してから
太一郎はなんだかむずがゆい気持ちになっていた。
和泉の言動は腹立たしかったが、
それにしてもひっかかることも多かった。
まるで、太一郎の今の状況を
知っているふうな口の利き方だった。

怒りに任せて追い返すより
もう少し話を聞くべきだったんじゃないだろうかと
太一郎は後悔した。

それから一睡もできず、今日まで
やってきた人間の顔をひとりひとり思い出してみる。
冷静に考えてみると、茜が裏で絵を描いてるとは
到底思えない人選だった。
吉良や三郎はともかく、茜と出会う以前の
小学校や中学校の交友関係を
茜が把握しているとは思えないし、
それこそ、茜と別れて以降の
つまり大学時代から現在までの
交友関係にいたってはもっと知る由がない。
しかし、そうなると、偶然とは考えにくいし
偶然でないとすると、和泉の存在が不可解になる。

考えているうちに、なんだか空恐ろしくなって
太一郎は狭い部屋をうろうろするのだった。

それにも疲れた明け方、午前五時。
ようやく太一郎は床に入り、できるだけ
なにも考えないように努めるのだった。

 気づくと外はすっかり日が照っていた。
良い天気だった。
雲一つない 快晴である。
窓を開けると心地よい風が入ってくる。
太一郎は、不安を押し殺すように
吹き抜ける風を感じながら
原稿の執筆に取り掛かることにした。

 このところ、来客ばかりで
まともな文章を書いていない。
むろん、連載の話があるわけはないが
いずれ来た時のために、ストックは用意しておきたい。

 真っ白な原稿用紙を前に
すうぅ…と深呼吸。そして万年筆を握り
好きなように書いてみた。

するとどうだろう、この頃、連なって人と会い
刺激を受けたのか、太一郎の筆は
今までにないほどスラスラ動くのだった。
手が勝手に物語を紡ぐ
そんな感覚だった。
原稿用紙が一枚、十枚、五十枚、
どんどんどんどん書きあがっていく
読み返して確認していないが
推敲の余地があるとはとても思えない
完璧な文章の連続であった。

 斬新なストーリーと息をつく展開。
魅力的な登場人物、そして彼らの心象。
太一郎のペンはすべてを完璧に表現する。

こんなにも頭が冴えるのは
はじめてだった。
まだ書ける、まだ書きたい、今日中に仕上げたい
太一郎は猛然と原稿用紙と格闘し
やがて、ついに、終わった。

夢から覚めたような、途方もない疲労感が
急に太一郎を襲う。
ぶるっと身もだえした。風が冷たくなっている。
振り向くと日はすっかり暮れていた。

いったい何時間書いていたのか、
いったい何頁書いたのか、
どれ、ちょっと一度、読み返してみよう、と
書き上げた原稿をとんとんと揃え
一頁目に手をかけたとき
チャイムが鳴った。

太一郎は一瞬、怯んだが
しかし、原稿を書き上げたという達成感からか
(或いはすべてを知りたいという知的欲求からか)
静かにドアを開けた。
このとき、太一郎は、第六感とでも言おうか
誰が立っているか、知っているような顔だった。

「あがりなよ」

「うん・・・」

茜と会うのは、別れたあの日以来だった。

七、

 いざ茜が入ってきたのを実感すると
さきほどまでの澄み切った感情が
急に濁りだして、胸がざわつきだした。
 
 太一郎は改めて茜の顔を盗み見る。
茜は、あの頃よりもはるかに洗練された美しさを纏っていた。
白い肌は、より透き通るように輝いている。
髪は少し染めていて、ずいぶんと伸び
軽くパーマがかかっていた。
化粧も覚えたのだろう、厚すぎない
ナチュラルなメイクはどこか成熟した
大人の女性の雰囲気を醸し出していた。
下世話だが、体つきも当時より大人っぽく感じた。
引き締まったウエストと対照的な、
劣情をそそるヒップラインは
やはり太一郎を困惑させる。

なにより、さきほどから鼻腔をくすぐる
淡く、優しい香りは、懐かしいといえば懐かしく
はじめて嗅いだとも思える
奇妙な安心感があった。

 太一郎はすっかり緊張してしまい
何を話せばいいのかわからなくなってしまったが
なんとか会話の糸口を探した。

「ひ、ひさしぶりだね」

「太一郎くんに会いたくなってね、そうだこの間
吉良くんと会ったよ」

「ああ、吉良から聞いたよ」

「なんだろうなあ、なんか急にね
太一郎くんに会っとかないといけないような
気がしたんだよね」

「ん?どういうこと」

「わかんない、なんかね、虫の知らせじゃないけど
ぱーっと、頭の中に太一郎くんが浮かぶんだよね
それで、ああ、会いたいなって、思ったの」

「そ、そうなんだ・・・あの、それなんだけどさ」

「ん?」

「最近、すごい色んな人がうちに来るんだよね
吉良もそうだし、三郎も、あときみは知らないだろうけど
中学とか大学のときのとか、いっぱい来るんだ」

「へえ~なんだかすごい偶然だね」

「えっ、知らないの?」

「ん、なにが?」

てっきり、茜が絵を描いたことなら
このタイミングでネタばらしをしてくると思った。
しかし、どうも要領を得てないようだった。

「いや、おれはてっきり、きみが、
どっきり的ななにかをおれに仕掛けてるのかと思って」

「やっだぁ~、なにそれ、あたしそんなのしないよ
する理由がないもん!あ、それでさっき玄関あけたとき
あんなうすいリアクションだったんだ!
あははは!あたしびっくりしちゃったよ!」

 笑った時に目が三日月になるのは
昔と変わっていなかった。その笑顔を見て
太一郎はなんだか、ホッとするのだった。

「そっか、うん、そうだよな、たまたまかー
はは、おれもなんかそんな気がしてきた!」

「ね、久しぶりだし、いろいろ話してよ!
そうだ、たあくんって、いま作家さんなんだよね!?」

いつの間にか茜は、太一郎を”たあくん”と呼んでいた。
その懐かしい響きのせいか、太一郎はつまらない見栄を張った。

「あ、ああ!ばりばり活躍中!今もちょうど
原稿が出来上がったところなんだ!
今度のは自信あるんだよ、芥川賞も遠くないね」

「うそ!見せて見せて!」

茜がずい、と近寄ってくる。
とたんに茜の香水が妖しげに漂ってきて
太一郎の劣情を刺激した。

「うわあ~、たあくん、すごいなあ
先生って呼ばないといけないね」

茜が太一郎を見つめる。
その瞳孔は、大きく広がっていた。


 まったく男と女というのは因果な動物である。
それからしばらくして、ふたりはどちらからともなく
求めあい、口づけ合い、愛し合うのだった。


八、

 まだ夢の中にいるような気分だった。

昨夜の、茜との情事は夜遅くまで
幾度となく続いた。
精根ともに尽き果て、太一郎が布団に寝転び、
ぐったりしていると、それとは対照的に、
茜はさっと立ち上がり、下着を着け
帰り支度をはじめるのだった。

「泊まっていきなよ」

「…そうしたいんだけどね」

てっきり、今日をきっかけに
また茜との交際がはじまるとばかり
思っていた太一郎だったが
茜の言葉のニュアンスには
どこか後ろ暗いものを感じた。

「旦那が待ってるから」

茜は太一郎の顔を見なかった。
太一郎も、茜の顔を見れなかった。

「ごめん、おれ」

「ううん、知らなかったんだから
あたしの方こそ、ごめんね」

「見送るよ」

まだ体中、疲れ果ててはいたが
寝てるわけにはいかなかった。
太一郎は慌ててTシャツを着て
茜を見送る。

「旦那さんって、どんな人?」

アパートの階段を降りながら
太一郎は茜に訊ねた。

「…やさしいひとだよ」

「そう…」

「ありがと、ここまででいいよ
それじゃあね、太一郎くん
元気でね」

「あ、うん…」

呼び名が元に戻っていたことで
太一郎は察するのだった。

去っていく茜の後姿が見えなくなるまで
太一郎は見送ったが、それも
やがて、夜の闇の中に溶けていった。

 部屋にかえり、乱れた布団を
敷きなおす。人心地つくと
途端に疲れがどっと沸いてきた。
太一郎はシャワーも浴びず、
寝巻にも着替えず、そのまま
布団に潜り込むのだった。

まだ、茜の匂いが残っていた。

そして太一郎は、明日からはもう
誰も来ないだろうなと思うのだった。

九、

 しかしその予感は容易く外れた。

茜との再会の翌日、またしても
太一郎の家に客人があったのだ。

 その日、太一郎は体調が優れず
熱があるようだった。
気だるい体を無理に起こし
台所で生姜をたっぷり入れたうどんを拵え
薬箱から風邪薬を数錠、取り出し
水で無理やり胃に落とした。

汗が吹き出てきたが、とにかく寝ていようと
布団に潜り込み、目を閉じる。

カーテンを閉め切ってはいたが
窓の向こうでは、雫のはねる音が聞こえる。
外は雨らしい。

 太一郎は夢を見た。
それは今までの人生を猛スピードで
振り返る夢だった。
自分を通り過ぎていった人々の顔が
みるみるうちに彼方へ消えてゆく。
その途中には、坂井もいた。
吉良も、三郎も、ジョニーも、
もちろん茜も。

彼らが自分に手を振っている夢だった。

はっと目が覚める。
もう雨音は聞こえなかった。

時計を見ると、夜の11時59分。
あと1分で日付が変わる。
それはつまり、ひと月ぶりの
”客人のない一日が終わる”ことを意味する。

(おかしな毎日もこれで終わりだ)

太一郎は時計をぼんやり眺めながら
秒針の動きをじっと見つめていた。

そして秒針が12時の方向を
通り過ぎようとするその瞬間チャイムが鳴った。
客人である。

これには、太一郎も驚きだった。
なにか、言葉では言い表せないような
不安を抱いたまま、そろりそろり
玄関の前にたつ。

覗き穴から目を凝らすと
そこには見知らぬ男が立っていた。

ゆっくり、ていねいに、太一郎はドアを開けた。

「だれだ・・・?」

十、

 男は、太一郎の問いに答えず
無言のまま部屋に入り、
黒いコートを脱いで、座り込んだ。

太一郎は、懸命に、この男が
誰なのか思い出そうとしたが
まったく見覚えがなかった。

だが、ひょっとすると、忘れているだけかもしれない。
太一郎はおそるおそる男の対面に座り
その顔をじっと見つめてみた。

これといって特徴のない顔である。
すれ違って3秒もすれば、記憶から抜け落ちてしまいそうな
なんの特徴もない顔だった。
いや、それにしたって、あまりにも特徴が無さすぎた。

腕のいい絵描きは、描く相手の顔を見て
瞬時に特徴を見つけ、そこをベースに
書き上げるらしいが、どんなベテランの
絵描きでも、その一筆目を躊躇うような
まったく、いっさい、ひとつとして、特徴のない顔だった。

男は太一郎の顔を静かに見つめ
か細い声で、言った。

「わたしが、誰だか、わかりますか?」

「ええと、誰だったかな、ここまで出てきてるんだけど」

太一郎は、喉のあたりをとんとん叩く真似をして見せたが
むろん一向に思い出せない。
忘れているというより、初対面の雰囲気しかなった。

「そうですか・・・」

「あ、や、悪いな、ここのところ人とたくさんあったものだから」

「いえ、無理もありません、ですが、わたしは
あなたのことを知っています」

「そ、そうか、ええと、小学校かな、大人になると
顔って変わるから・・・」

「ちがいます」

「それじゃ、中学かな?」

「いえ、ちがいます」

「高校か?大学?わからない」

「いえ、お会いするのは今日が初めてです
ですが、あなたのことはずっと知っています」

「どういうことだ・・・?」

「生まれたときから・・・今日にいたるまで・・・
ずぅっと、ずぅっと、見ていました・・・」

「おまえはいったいだれなんだ・・・!」

「短い人生でしたが、最期に一度くらい
思い出に浸らせるのもいいんじゃないかと思って」

「なにを言ってやがる!」

「残念ながら、あなたは、今日、死にます」

「え・・・・・・」

「お迎えにあがりました」

 男はすっと立ち上がり
身体の中心に手を当てると
その手はずぶずぶと
身体の中に包まれていった。

そして何かを掴んだような動きを見せ
またずぶずぶと身体から腕を引っ張り出すと
男の身長ほどあろうかという
大きな鎌が現れた。

「なんだよそれ・・・なんだよそれ・・・」

そして男はその鎌を両手で握りしめ
太一郎にじりじりと近づき、振りかぶった。

「お疲れ様でした。来世にご期待ください」

鋭い音が鳴り響いた。

十一、

 「どういうことだおらああああ~!」

チンピラ風の男がアパートの扉を
がんがんと蹴りまくっている。

「てめえ、コラ出てこいやあああ~!!」

しかし中から反応はなかった。

「ちっ、ふざけんなよくそったれ」

チンピラ風の男はいったん扉を蹴るのをやめ
どこかに電話をかけはじめた。

「あっ、兄さんですか、いやだめですね
あの野郎ナメた真似してくれてますわ
居留守かもしれねえっすから
もうしばらく張ってみますけど」

すると、扉が開いた。

「あの~~~・・・」

「ああ!?」

「ひっ、いや、あの、えっと
そこの家の人、ほんとにいないと思いますよ・・・」

「どういうことじゃ兄ちゃん、
おまえ、こいつのツレか」

「ちっちがいますちがいます!
ただの隣人です!あの、隣の人
もう何日も家にいる様子ないんですよ」

「ほんまか、こら」

「ほっ、本当ですって、ここ、壁が薄いから
生活音とかも丸聞こえなんですよ
でも、もうしばらくなんの音も聞こえないんですよね」

「ちっ、飛びよったんか、あのボケ・・・
借りた金も返さんと・・・」

チンピラ風の男の反り込んだ額に
青い筋が浮かんだ。

「借金取りの方ですか、ど、どうりで」

「どういう意味じゃボケっ!いてまうど!」

「あわわわわ、ご、ごめんなさい」

「おまえ、ほんまにこの家のやつのこと
知らんのか」

「知らないですっ、でも最近、かなり
おかしな感じだったんですよ」

「おかしな?」

「ぼく、浪人生で・・・ずっと家にいるんですけど
ある時から、隣からすごい話し声が聞こえるんです
毎日のように・・・
で、うるさいなあ、勉強の邪魔だよって
イライラしてたんですけど、よくよく聞くと
ぜんぶ、”ひとりごと”なんですよ」

「はあ?」

「なんか、相槌とか、笑い声とか
まるで、誰かと喋ってるみたいな感じなんですけど
隣の人以外の声がまったくしないんですよ
それで、気持ち悪いなあって思ってたんです」

「嘘やったらどつくぞ、お前」

「本当ですって!あ、でも一回だけ
ほんとに誰か来てたみたいですけど
ずいぶんマシンガントークというか
テンションが高い感じで・・・
あのときだけ、誰か来てたみたいですね
でも、なんか追い返しちゃったみたいで・・・
そうとう、精神的におかしかったんじゃないですか?」

「ちっ、くそが!!」

チンピラ風の男は、太一郎の部屋の扉を
力任せに蹴り飛ばす。

中に人の気配は無かった。





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  1. 2017/04/20(木) 02:50:36|
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